「存在給」っていう言葉。
「何もしなくても価値のある自分」という意味の言葉です。
ただ存在しているだけで素晴らしい、私には価値がある、何もしなくても価値がある。スピリチュアル系でよく使われます。
スピリチュアル自体悪いものだとは思いません。ひとつの考え方として捉えるなら。
僕も一時期は話題の本を読んだりブログを見たりしました。若干ハマったこともありました。
よくないのはエセスピやキラスピってやつです。
存在給、ブロックを外す、そんな言葉を悪用し、崇拝させドツボにハメるペテン師。
先日はスピ界隈の有名な教祖が実は借金だらけで、乗ってた高級外車もリースで方々から借りまくった金を踏み倒してると暴露されてましたね。
借金なんて返さなくていいと信者に説いてたのを自ら実行していたんですからある意味たいしたもんです。
存在給、自分はただいるだけで何もしなくても価値がある。言葉自体はいい言葉です。本来の意味ならば。
こういう言葉ってあれです。よほど疲れきった人や病んでしまった人に向けて、落ち込むなよ変な考え起こすなよっていう意味だったり、または生まれてきた赤ちゃんに、あなたはただいてくれるだけで価値があるのよというような言葉です。
都合よく使って都合よく解釈するからおかしなことになるんです。
自分はなにもしなくてもいいんだ。頑張らなくていいんだ。嫌なことをやめて好きなことだけしていればうまくいくんだ。しんどいことはしなくていいんだ。努力しなくていいんだ。ブロックを外してタブーだと思ってたことをやればいいんだ。存在給が高ければお金が入ってくるんだ。
どんなことにしろ、自分の都合よく勝手な解釈をするとなにもかもうまくいかないように思います。
ダイエットも同じです。
No Title
これは断言してもいいレベルかもですがダイエットできない人に繊細な人はいません。図太い、頑固、聞かない、読まない、なかったことにする、勝手な解釈をする、都合よく忘れる、言動と行動が伴わない等がダイエットできない人によくある特徴。繊細な人が太るはずありません。図太いから太るんです。
「足るを知る」という言葉は一般的には、身分相応に満足することを知るとか、すでにじゅうぶんに足りているといった意味で使われます。
知人者智、自知者明、勝人者有力、自勝者強、知足者富、強行者有志、不失其所者久、死而不亡者壽
老子の言葉ですがその中の「知足者富」が足るを知る。後に続く「強行者有志」までが、満足を知っていることが(真に)富むことであり、努力して実行するのが目的を持つ人である。(木村英一訳)
足るを知る→今のままで足りている→何もしなくても価値のある自分→大丈夫そのままでいいんだよ。みたいな都合のいい解釈してるんじゃないかと。
強行者有志、努力し続けることから逃げているだけなのに今のままでいいと言ってるんじゃないかと。
自分は素晴らしい存在→だからこそ努力し続けよう、というのが正解じゃないかと思います。
まず凡人が自分は素晴らしいなんて思わないほうがよくて「自分はクソだから努力し続けよう」という"自分はクソ"ベースでいないと、努力しないクソ中のクソになってしまいます。エセスピキラスピのように。
僕自身、自分はクソだと思っています。クソがデフォルトです。
筋肉はしょぼいし、数十年やってきた筋トレもやっとスタート地点に立てたかなというところ。身体操作もこれから一生かけて学んでいって死ぬまでに理解できるだろうか?と思っています。正味の話。
なにか少しかじった程度で求めらてもないのに指導しだす専門家気取りの人がよくいますが、どんな分野でも自分はできていると思った時点で終わりです。自分はできていると思った時点で終わりです。できていると思った時点で終わりです。そこから成長することはないんじゃないかと。
自分はクソだから努力する。
足りないを知ることは足るを知るより大切だと感じます。